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さえない大学生です

子供とのふれあい

子供と触れ合う機会があったのでそこで感じたことや学んだことを記します。

 

 最初

私はあまり子供と触れ合うのが得意ではないほうだが、小学生の子供たちと接する機会が得られた。最初は自分もなれないところがあるし、子供も突然来た男に警戒している感じがしたけど、中には社交的な子もいてその子が私に話しかけてくれることでその友達が私に興味を示してくれてコミュニケーションをとるとができた。

個性を感じた

 私は人とのつながりが多いほうではないが今まで生きていると様々な人と出会ってきてその人それぞれが個性を持っていることは周知のことである。そして、小学生低学年から中学年の子供達ではそれぞれの個性が色濃く感じられた。このことから、人は教育などによって成長するにつれてそれぞれの個性が均一にならされているようにかんじた。

 それぞれの特徴を具体的に挙げると、男子は走り回って元気よく遊んでいたかと思うと漫画を読みだすとじっと集中していたりと一つ一つのことに全力を注いでいるように見えた。一緒にゲームとかをしているときは俺が俺がって感じで負けたくないオーラがすごい伝わってきたり、人生ゲームで遊んでいるときはそれぞれがルーレットを回しだしたりしてしっちゃかめっちゃかになることも多々あった笑。

 女子は、積極的に話しかけてくれる人が多いと感じた。急に来た知らない男(私)にも話しかけてくれたのも女子で一度話すと毎日遊んでくれるようになった。一緒にゲームをするときは順番を守って周りの様子を見てやっていたのでスムーズに進行をすることができてちゃんと遊びが成立していた笑。

 もちろんこれらは人によるところがおおきいので女子でも静かに本を読んでいる人がいたり、男子でもずっと駆け回っている子や、静かにおもちゃで遊んでいる人がいたりとさまざまである。

 みんな性格は違うのだが一人すごく優しい子だなと感じた子がいて、その子は遊びでみんなの様子を見てやったり、何かあったときはすぐに謝ることができていてすごいなと思った。当たり前だと思うかもしれないがこれが結構すごいことである。友達と遊んでいないときは一人で本を読んでいたりと割と静かなタイプであるが遊ぶときは男子と一緒に遊んだりと友達との輪には入れていた。ドッチボールをしているときは私は基本ボールを取ったら子供たちに渡す役割をしているんだけど、その子は私の目の前に転がってきたボールを拾ったときに「なげてもいい?」と聞いてからボールを持って行ったことに感心した。社会は優しい人が損をすることが多いのでそういった優しい子が幸せに暮らせる世の中になることを切にねがっている。

自分が小学生のころと比べて

自分のの性格的な部分は小学生の時とあまり変わっていないように思っていたが、小学生の子供たちと触れ合っていると自分がそうおもっていただけで実は結構無邪気だったのかなと思うようになった。ちらっと小学生の頃の自分の写真を見ると結構生き生きとした感じがしていて自分でもこんな感じだったっけ?と思ってしまうくらいだった。

 昔からあがり症で緊張しやすい性格だったが今はそれは改善している途中であり、自分性格を変えるのは難しいけど無理じゃないんだという事を確信した。

まっとうに生きねば

自分は自己肯定感が低くてマイナス思考なところがあるけどエネルギーに満ち溢れている子供を見ていると自分も頑張らねばと思えるようになる。

また、この子たちのお手本となれるように日頃の生活も意識するようになったし、今後一生悪いことはできないな~なんて思った。何かつらいことがあったらこの経験を思い出すことにしようと思う。

まとめ

こどもはほんとに十人十色で素直で手のかからない子もいれば、まったくゆうことの利かない子もいた。一緒に遊んでいてこどもらしく愛らしい面は癒しとなるが、横着をするこの相手をするのは体力的にも精神的にも大変だった。私は子供相手に限らず怒ることがあまりないので怒り方がわからず戸惑うこともあった。そんなことを考えると小中学校の先生方は本当に大変だと思う(お疲れ様です)。私の小学生の頃は先生が怒るのは憎しみによるものだと思っていたけど、みんなのためを思ってのことなんだったんだと知った。

そんな中でも私のことを好いてくれる子はいるから、ひいきは良くないけどその子のためにも頑張ろうと思えてくる。

自分は教師を目指す気はないけど学童など子供とかかわる仕事は悪くないかもなと思った。

学生ながら今世話をしている子たちは大人になったらどうなるのかなと明るい未来を想像し願っています。